なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないんですか?と聞かれたら

「英語教育2.0」の anfieldroadさんの企画『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画第5回に便乗させてもらい、本当に久しぶりにブログを書かせてもらいました。ありがとうございます!

質問に対する答えを考える前に、「なんで英語なんか勉強しなくちゃいけないの?」って質問出ないような授業をしたいなぁということが頭には浮かびましたが、これを言ってしまっては、今回のお題に答えることすらできなくなってしまうので、この問題は横においておきましょう。さて、本題です。

(1)真面目に答える場合
真面目に答えるとすれば、英語を勉強する事で「日本語で生きている世界とは別のもう一つの世界を持てる。自分とは別のもう一人の別の自分にもなれる」というところでしょうか。月並みの表現になってしまいますが、英語を使えるようにある程度なる事で、私はこのような感覚を持ちました。もちろん、このように語る事で、全ての生徒が納得するとも、こんな感覚に至る程の英語力を身に付けられるとも思っていません。でも、少なくともクラスの40人の生徒のうち、何人かはこの感覚を持てるようになると思っています。英語で人生が変わる人(私を含め多くの英語教員)もいれば、変わらない人もいます。でも教育という観点で見ると、少なくとも中学校、高校の間は英語を学ぶことで自分の世界を広げられる可能性があるのならば、そのことについては触れてあげないといけないなと思います。たとえ私がそれを伝えたとしても、生徒みんなが私の話すことを実感をもって感じるとはとても思えません。それでも、英語を学ぶことの意味を「言葉」として教師から聞く事で、何かに気付く生徒がいるかもしれません。そんな可能性があるのなら、たとえ今回のお題のような問いを生徒に質問されなくても、英語を勉強する意味を言葉で伝えることの大切さもあるんだなとこの文章を書いていて気付いてきました。ということで、(1)の答え方には教師としては、こんな風に答えて(伝えて)あげないといけないんだろうなというちょっとした義務感も入っています。

(2)反則技で答える場合
質問に「答える」という場合、当たり前ですが普通は「言葉」で答えることを指します。でも、実は今回の問いに対して、「言葉で」答えることにどうもしっくりこない自分がいて、反則技の方も載せさせて頂きたいと思います。
現在、私は大学院で勉強をしているのですが、昨日は授業で「教師の役割」について話をする機会がありました。そのとき、内田樹先生の本で目にした言葉を思い出しました。
「教師の役割は、自分の教える教科について、こんなにも楽しいんだぞ〜、という気持ちを体全体で表現する事、これにつきる」というような趣旨のものです。(出典が明らかではなく、言葉も曖昧で大変申し訳ありません)
英語の力を付ける事は英語の教師として大切な事です。一方で教師自身が英語を、そして英語でのコミュニケーションを楽しみ、それを体全体で生徒に表し続けることももう一つの大切な事なんだな、とその言葉を目にしてから思っています。
「英語ができるようになる世界が広がり、これからの世の中で生きていくのにこんなにも役立つんだよ」というメリットや理由を言葉でたくさん並べるよりも、英語でコミュニケーションすることの楽しさを体全体で生徒に語りかけ、「経験知」としての英語の楽しさを伝えたいなと思います。「経験知」を伝えるということは、英語を勉強する事のメリットや理由を理屈で挙げていくのではなく、実際に英語の授業なり英語を使う経験なりを通して、「英語を使う事が楽しいという体験」を教えるということになるでしょうか。私自身、中学生、高校生のときは文法という「知識」を身につけることより、ALTなどと英語でコミュニケーションができたという「経験」をすることに何よりも喜びを感じていました。そして、経験を通しての知識、いわゆる「経験知」を求め自主的に英語を学んでいました。こんな自分の経験もあるからなのか、今回のお題に対しては、最初に(1)で述べたような「真面目な解答」で生徒に答えた後は、反則技の(2)の「経験知」で生徒達に応えていきたいと思っています。